マルスウイスキー 信州マルス蒸留所
鹿児島の地で日本の蒸留酒「焼酎」造りに邁進していた本坊酒造が、ウイスキー製造免許を取得したのが昭和24年。それ以来、「いつか日本の風土を生かした本物のウイスキーを造りたい」と夢を抱き続けていました。まず、昭和35年に山梨にワインとウイスキー製造のための工場を設立。そして、本格的にウイスキー造りに取り組むために、さらなる理想の地を探し求めていました。澄んだ空気の寒冷地であり、しかも適度な湿度と良質な水に恵まれていることなど、ウイスキー造りのための自然条件は、たいへん厳しいものがあります。こうした条件を満たす土地を探し求め、紆余曲折を経て、信州宮田村に工場を新設することとなりました。中央アルプス駒ヶ岳山麓のこの地は、冬は氷点下15℃を下回る日も珍しくない寒冷地であり、適度な湿度をもたらす霧も多く、何より良質な水を有していました。中央アルプスの雪どけ水は、ゆっくりと花崗岩質土壌に浸透し濾過され、ウイスキーに最適な軟水となって湧き出してきます。そこは、まさに長い年月をかけて、探し求めていたウイスキー造りの理想郷でした。
「竹鶴レポート」を作らせた男…岩井喜一郎
国産ウイスキーの生みの親と知られる故竹鶴政孝氏。当時24歳だった竹鶴氏に日本の本格の夜明けを託し上司として彼を英国に送り出した男こそ故岩井喜一郎氏です。竹鶴氏はスコットランドにおけるウイスキー研修の結果を「ウイスキー報告書」にまとめ岩井氏に提出しました。それこそが、後に国産ウイスキーの原点となった「竹鶴レポート」です。
マルスウイスキーは当時本坊酒造の顧問を務めていた岩井氏のもと、竹鶴レポートを参考に設計されたウイスキープラント“岩井ポットスチル”によって蒸留された原酒を元に誕生しました。
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